5. うつ病と双極性障害
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1. うつ病と双極性障害
1-1. うつ病という病気
ストレス社会を背景としてうつ病が増えているという認識が広まっており、事実、その診断件数は年々増加しつつある
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ただし、このグラフが示す情報を正確に評価することは意外に難しい
同じ時期に医療機関も並行して増加している
うつ病の概念そのものが以前とは変わってきている
うつ病と社会に蔓延するストレスとの関連もそれほど単純ではない 現代におけるうつ病は、多彩な背景のもとにさまざまな経過をたどる雑多なケースを含んだ、きわめて広い臨床概念
統合失調症は幻覚や妄想といった独特の非日常的な症状によって特徴づけられ、放置すると進行するという重症感のある病気だった 一方、気分が浮き沈みし、辛い出来事によって気持ちが塞いだりすることは、日常生活の中でよく起きる
そうした不調は時が経てば自然に回復することも多い
うつ病や躁病で見られる症状は通常の気分の浮き沈みとは異なった、病的な気分の変調 その特有のつらさは「罹った者でないとわからない」ものであり、日常の気分の単純な延長線上に類推できるものではない
うつ病や双極性障害の概念は歴史的にも変化してきたうえ、最近また大きな変更が加えられ学習者を混乱させる一因となっている
1-2. クレペリンのうつ病とDSMのうつ病
気分の変調を主症状とする疾患は、以前は「躁うつ病」という名称で呼ばれていた 広義の躁うつ病: 何らかの気分で変調をきたすもので、以下を含むと考えた 狭義の躁うつ病: 抑うつ状態と躁状態の双方を示すもの クレペリンは、19世紀末のドイツの精神病院で見られる腫瘍な内因性疾患のうち、進行性の経過をとり予後不良のものを早発性痴呆(統合失調症)とし、周期性の経過をとり寛解後に機能低下を残さないものを躁うつ病とした 早発性痴呆と躁うつ病を区別するにあたり、クレペリンが症状によって判断するのではなく、長期経過と予後に頼ったことは意外に思われるかも知れない
症状を見ただけでは両者を判然と区別することはできない、とクレペリンは考えた
言い換えれば、クレペリンが目にしていた躁うつ病はそれほど重症感のある病気だった
事実、クレペリンが残した症例記録を読むと、うつ病製の妄想にさいなまれて苦悶する様子や、誇大妄想を伴う激しい躁病性興奮が記されており、本格的な躁うつ病の重篤さが伝わってくる クレペリンの診療体系においてもう一つ重要なことは、躁うつ病という言葉の内容が、脳の機能変調による内因性のものに限られていたこと 辛い出来事やストレス体験に由来する抑うつ状態では、今日ではうつ病の典型的なイメージをなすものであるが、当時は了解可能な心因性の反応とされ、うつ病とは見なされなかった これとは違って、理由もないのにひどく気分が沈むものこそ「病気」であり、脳の機能変調の結果であると考えられた
今日のDSMなどが規定する気分の変調は、より軽症のものを含む広い概念となっている また、DSMの症状を重視する立場をとり病気の原因を問わないので、内因性のものもストレス性のものも、区別なくそこに含まれることになる
言い換えればうつ病の診断にあたって、ストレス体験や心理的なきっかけといった「原因」はあってもよいが、なくてもよい
今イチではストレス因の影響が強調され、「うつ病」すなわち「ストレス反応」と思い込みがちであるが、クレペリンの「うつ病」の定義はこれとは正反対のものであったし、今日でもそのような「うつ病」のケースが多数存在することに注意したい クレペリン的な考え方からDSMの診断方式への変化に伴い、うつ病の診断件数が顕著に増加したことも、以上の経緯から理解できる
1-3. DSM-IVからDSM-5へ―うつ病と双極性障害の関係
抑うつ状態だけを反復する単極性うつ病と、抑うつ状態と躁状態をこもごも示す狭義の躁うつ病を比較すると、経過には大きな違いがあっても抑うつ状態の病像はほとんど同じ
そこでクレペリン以来、両者は根本的には共通の疾患であって、躁状態を示すかどうかだけが違うとの考え方が主流であった
研究が進むにつれ、うつ病と双極性障害の間にかなり大きな違いがわかってきたため
table: 表5−1 うつ病と双極性障害の比較
発病危険率 10~15% 0.5~1%
男女比 女性に多い 男女差がない
初発年齢 青年期〜中高年 10代後半〜20代前半
遺伝傾向 あまりない 強い
遺伝・精査・薬物療法など多方面で際立った違いがあり、これを重く見て両者を別々の疾患とする主張があることも理解できる
一方、抑うつ状態に着目して見れば着目してみれば、両者がよく似ているのも事実であり、クレペリン以来の基本的な考え方を根本から変更することには、なお異論もある
本書では両者の共通性にも留意し、ここでは「気分の障害」と呼ぶことにする
このような由来をもつ気分の障害は、外来通院患者の診断名として最も多いものであり、統合失調症が入院患者中最多の疾患であるのと対照的
2. うつ病
2-1. 抑うつエピソードと症例
うつ病のつらさは日常心理の延長上に簡単に理解できるものではない
健康な時の気分の浮き沈みとは異なり、人間の生命活動全般にわたって変調が生じ、心身両面に多彩な症状が出現するのが気分の障害
嫌なことを言われて気分を害するといった一時的な反応ではなく、喜怒哀楽の根底にある持続的な調子のこと
気分が一定期間にわたって沈んだり塞いだりする
逆に過剰に高揚する
生涯にわたって抑うつエピソードだけを反復するもの
table: 表5−2 DSM-5における気分の障害の類型
上位区分 障害名 特徴
その他の気分障害
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抑うつエピソードの典型例
症例 p.73
2-2. うつ病の症状と診断
「(1) 抑うつ気分」と「(2) 興味や喜びの減退」は抑うつエピソードの基本症状
いわゆる憂鬱な気分のことで、悲しみ、空虚感、絶望感などを含み、「気持ちが沈む」「塞ぐ」「さびしい」「もの悲しい」といった言葉で表現される
一見わかりやすい症状のようであるが、健康な生活の中でのさびしさやもの悲しさは、ある意味で生き生きと感じられ詩的鑑賞の題材ともなるのに対して、抑うつ気分のそれはひたすら重苦しく停滞した病的な感情であることに注意したい
興味や喜びの減退
身体的なこと(食べ物の味、性欲など)、生活習慣に関すること(趣味など)、社会的なこと(季節やニュースに無関心)など文字通りあらゆる面にわたる
特定の場面に限定されたものではなく、職場や過程を含め生活全体に及ぶもの
いわば精神というエンジンの活動にブレーキがかかった状態
思考・意欲などの働きが低下し、行動が不活発となる
主観的には「億劫」「気が重い」などと表現され、周囲から見ても動作や反応が鈍くなる
診察の場面では、うなだれて伏し目がちになり、声が小さく言葉数が少なく、すぐに返事が帰ってこなかったり、説明に対する了解が悪かったりする
職場や家庭では、仕事の能率が落ちて書類がたまる、決断力が落ちて決裁できない、食事の献立が考えられないなど、さまざまな支障が生じる
本人は「これではいけない、何とかしなければいけない」と思っており、不安や焦りを生じる事が多い
自責的となり、無価値感や罪悪感を抱くのもうつ病の特徴
うつ病による心身の不調についても「自分がふがいない」「怠けている」と考えて自分を責め、周囲が気づいて受診を勧めるまで病識や受診動機を持てない事が多い
こうした変調とともに、いつの頃から「死」についての考えが頭から離れなくなる
よく「自殺願望」という言葉が使われるが、願望というよりも強迫観念に近いものであり、「ここから飛び降りたら楽になれるだろうか」「自分などはいないほうが皆のためではないか」といった考えが、ついつい浮かんできて払拭できない
生きたいと願いながらも、抑うつ気分に圧倒されていると見るべき
多彩な身体症状
あらゆる不調が訴えられる可能性がある
食欲不振・体重減少、不眠、性欲の減退などは特に多く、心身機能の低下の直接の現れと言える 朝早く暗いうちに目覚め、重苦しい気分で明るくなるのを待つ
入眠困難や熟睡感の欠如などさまざまな型のものがある
疲弊していながらかえって眠れなくなるところにうつ病のつらさがあり、この結果いっそう疲労が深まることになる
不眠はうつ病発症後の症状として注目されてきたが、もともと不眠傾向のある人ではうつ病の発症率が高いとの報告もあり、うつ病の発症機序との関連も示唆されている(→6. 「うつ」をめぐるさまざまな話題) これらの身体症状を訴えて一般の医療機関を受診したものの、身体に異常がないことから「気のせい」などとされ、うつ病として治療を受ける機会を逸するケースがプライマリー・ケアで問題となっている DSMの診断基準の(1)(2)については援助場面でこまめに確認し、これが認められる場合には早めに専門医受診を勧めるよう心がけたい
前述の症例においては、特にきっかけとなるようなストレスフルなできごとが何も見当たらなかった
内因性うつ病ではこのようなケースが多く、逆に昇進・栄転や家庭の慶事など、おめでたいことがきっかけになるという指摘もある
慶凶に関わらず生活上の変化が誘因になるとも言われるが、それらはあくまできっかけにすぎず、こうした誘因から抑うつ症状の発生を合理的に説明することはできない
統合失調症の症状は了解不能であると言われるが、内因性うつ病の症状もまた背景や状況からは理解できないことが多い
罪責妄想: 「取り返しのつかない罪を犯してしまった」「罪深い存在である」などと根拠なく思い込むもの 心気妄想: 「不治の難病にかかっており、決して治らない 妄想には至らないまでも、これに通じるような認知の歪みが経過中に認められることが、とりわけ内因性のうつ病には珍しくない 2-3. 治療と経過
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うつ病の治療の2本の柱
より重要
うつ病が時間の経過とともに回復する傾向があるため
うつ病の症状を軽減し、休養の質を高めるもの
休養をとらずに薬で治すという発想は本来誤ったもの
勤労者の場合、多忙な職場を離脱することへの申し訳無さが患者を苦しめることが多いが、医師の診断に基づいて早めに休みをとることができれば、迅速な回復への第一歩となる
薬物療法を行いつつ必要な休養をとることによって、うつ病エピソードの大半は回復することが繰り返し指摘されている
うつ病の患者は「自分の努力が足りないために病気になるのだ」などと自分を責めがちであるから、本人だけでなく家族を含めて心理教育を行い、うつ病に関する説明を十分に行うことが必要 うつ病の治療経過の中で最も警戒すべきことは自殺であり、これについても心理教育のなかでとりあげる 家族はもとより、本人に対しても言葉を選びながら希死念慮の有無を慎重に確認し、そういう気持ち自体がうつ病の症状であることを説明して早まった行動をとらないよう指導する
うつ病の治療は通常外来で行われるが、希死念慮が強く、実行に映す危険のある場合は入院治療の適応となる
焦燥感の強い場合や、妄想症状を伴っている場合なども入院が考慮される
自営業者や専業主婦など家庭では休まらない事情がある場合にも、休養のための入院が有力な選択肢となるだろう
抗うつ薬は1950年代以来の長い歴史があり、うつ病の症状を軽減し病相を短縮する効果が実証されている
初期の抗うつ薬
SSRIやSNRIなど最近のものでは副作用が軽減され服用しやすくなっている
ただし、抗うつ薬は10日~2週間程度服用を続けないと十分な効果が出てこない
一方、副作用は服用直後から出現するため、服薬当初に怠薬や中断が生じやすい したがって、薬物の作用・副作用についても心理教育のなかで扱う必要がある
最近では認知療法が注目されるようになり、軽症〜中等症では薬物療法に匹敵する効果も報告されている 認知療法はうつ病患者にありがちの非適応的な認知パターンの修正を図るもので、治療だけでなく寛解後の再発予防における効果も期待されている
うつ病はつらい病気であるが、上述のように休養すれば大半に回復が見込まれ、回復後には機能低下が残らない疾患
ただし再発が多いことも事実であり、社会生活への復帰作業は、時間を書かけて慎重に勧める必要がある
3. 双極性障害
3-1. 躁病エピソード
こうした変調が病気によるものであって、本人のもともとの性格とは無関係であることに注意
3-2. 症状と診断
躁病エピソードの症状は、抑うつエピソードの正反対と考えれば理解しやすい
これらが限度を超えて過剰になるものであり、絶えず声高に喋り続け、けたたましく動き回り、観念が次々と湧いてきて話のまとまりがつかない(観念奔逸) 見かけの作業量は増えているが、注意散漫で誤りが多い
気が大きく怒りっぽくなるため、しばしば周囲と衝突する
活発量が増えるために体重が減少し、爽快感にまかせて眠らず活動するために睡眠時間が短縮することなど、体重や睡眠時間の変化の方向は抑うつエピソードと同じであるが、メカニズムは正反対
過剰に元気になる結果、さまざまな問題行動が起きる
金銭の浪費、喧嘩やギャンブル、性的な逸脱行動などが多く、いずれも本来の性格からは説明のつかないもの
抑うつエピソードは半年から時には年単位の経過をとるのに対して、躁病エピソードはたかだが3ヶ月程度でおさまるのが普通であるが、この短期間の問題行動によって日頃築いてきた社会的な信用を失い、後で本人が苦しむことも少なくない
3-3. 双極性障害の治療
躁病エピソードはこのように異常な高揚感や易怒性を伴うもので、主観的には爽快で充実しているだけに、病識や治療動機を期待できない場合がほとんど このため急性期の治療導入は困難であり、前述の例のように強制入院が必要になる場合もある
双極性障害の薬物療法として、躁病エピソードの期間には抗精神病薬を用いて高揚した気分や興奮を鎮静させることが必要になる 興奮が鎮まった後の治療として、以前は抑うつエピソードに対して抗うつ薬、躁病エピソードに対して抗精神病薬を使い分けることが行われたが、気分の浮き沈みを後から追いかける処方となり、後手に回ることが多かった
最近では気分の変動そのものを平準化させる目的で、気分安定薬と呼ばれる薬剤が用いられている これらの薬剤は躁病エピソードを安定させる効果とともに、将来の躁病エピソードやうつ病エピソードを予防する効果があるため、双極性障害の治療に最適 ただし、古くから知られている炭酸リチウムのほか、もともと抗てんかん薬として使われていた数種類の薬剤が知られるにとどまり、まだ選択肢が十分とは言えない 炭酸リチウムは薬剤の安全閾(中毒を起こさず安全に使用できる血中濃度閾)が狭いので、定期的に血中濃度を測定しながら服用する必要がある 躁病エピソードの間は精神療法や心理教育は不可能に近く、薬物療法が中心となる
躁病エピソードがおさまって間欠期に入ってから、十分に心理教育を行って服薬の重要性を伝え、予防的に薬物療法を行うことが重要
適切な薬物療法によって気分の変動を予防できれば、良好な予後が期待できる